人生

我(が)

2016/10/16

子供は我儘(わがまま)です。
我儘を受け止めてくれるのが親です。
時には厳しく戒め、時には優しく包み込みます。

しかし、我儘という自己主張を受け止めてくれる人がいないまま、成長してしまった人はどうなるのでしょうか。

あきらめきることが出来れば、新しい芽が出てきます。
受け止めて欲しい、認めて欲しい、分かって欲しいという思いが残れば、
その思い残しにより我は暴走を始めます。

受け入れてくれそうな人(弱い人、または否定しない人)を見つけては、我を主張し、思いの吐き出し口として利用します。
受け入れてくれそうにない人(強い人)の前では、委縮し、思いを飲み込んでしまいます。
受け入れ先のない我の思いは、怨みのエネルギーに転換し、人や社会や世の中を怨んでいくようになります。怨みの想念が内に向かえば、自己破滅へ、外に向かえば、他人への攻撃となって表れます。

親以外の誰かに受容された人は幸いです。

我とは自己主張である。自分の主張を自分で聞ける人には救いがあります。
自己受容とは、我の主張に耳を傾け、分かってあげることです。
分かってあげて、
受け入れてあげて、
整理してあげて、
理解すること。

我の主張とは何か。それは自分が生まれてきた目的に関わるものでもあります。
自分の生の目的を果たすために、必要な欲求を叫んでいるように私には思えます。

自己受容の第一歩は、自分は何のために生まれてきたのかを知ることではないでしょうか。
生の目的を知った時、不幸な出来事も、自分を生んだ親さえも、自分で選らんできたことに気づくでしょう。人生の意義と目的を知ることで、我の暴走は収まるはずです。人に認められたいとか、有名になりたいとか、成功したいという思いが消滅するはずです。

我と我のぶつかりあいが、この世の修羅場を創っていくのです。

自己受容とは、自分の物語を読むことであり、
自分の物語を読み終えた人のみが、次のステージへ上がることができるのです。
自我が成長し終えるとより高い次元の真我へと帰り、闘いの物語が終わるのです。

-人生